この前、ランニングしていたら・・DA PUMPの「USA」を歌いながら歩いている小学生とすれ違いました(笑)
一茶とISSA・・・。
関係あるのか!?
なぜか今、小林一茶の人生は俳句を読み直しています。
このビギナーズ・クラシックスは、日本の古典、中国の古典とかあってめっちゃおもしろそうですね!
古典をざっくりと極めたい人にはいいかもです。
古典知っていると、ちょっとモテそうです(笑)
小林一茶の激しすぎる人生

小林一茶の俳句って可愛かったり、面白かったりするのが多いというイメージがありました。
明るい感じの人なのかな、平和な時代を謳歌している俳句だと思っていたんですが、小林一茶の人生は苦労と困難と悲しみの連続・・。
まさに艱難辛苦の人生です。
幼少期に母を亡くし、再婚した父との継母に激しくいじめられ、奉公に出されその奉公先でも苦労の連続。。
「亡き母や海見る度に見る度に」
生活苦の中、再婚後亡くなった父の遺産問題で10年以上も継母と揉めにもめ・・。
やっと解決し落ち着いたのが50代前半。
その後、20歳以上も年下の女性と結婚するも相次いで子供を亡くし、更には奥様まで先に亡くなる。。
「露の世は露の世ながらさりながら」
「せみなくやつくづく赤い風車」
再婚をするもすぐ破綻。。その後は中風の発作(脳卒中とか)を繰り返す日々の中、再度再婚。
「小言いふ相手もあらばけふの月」
65歳で亡くなる数カ月前には火事で自宅も焼失。。
「もともとの一人前(いちにんまえ)ぞ雑煮膳」
最後まで兄弟間で遺産問題で揉めたりと・・・小林一茶の人生そのものは苦労の連続だったようです。
まさに艱難辛苦な人生の中、あの可愛らしい、愛嬌のある俳句を生み出した小林一茶。
陰陽の等価交換。
人生や日々の辛さを明るい、愛嬌のある俳句という表現で吐き出し続けたのではないかなぁと感じます。
やはり辛いこと、悲しいことは、芸術や美術、音楽、表現の分野で才能として発揮されるということでしょうか。
小林一茶の代表的な俳句が可愛い
学校で習う俳句も「やせがえる 負けるな一茶 ここにあり」とか、そういう少し滑稽というか、茶化している感じの俳句が多いですよね。
これがまあつひの栖(すみか)か雪五尺
蟻の道雲の峰よりつづきけん
雪とけて村いっぱいの子どもかな
我と来て遊べや親のない雀
三文が霞見にけり遠眼鏡
梅が香やどなたが来ても欠茶碗
秋の夜や旅の男の針仕事
梅さけど鶯なけどひとりかな
夕燕我には翌(あす)のあてはなき
寝にくくても生まれ在所の草の花
月花や四十九年のむだ歩き
春風や牛にひかれて善光寺
小言いふ相手もあらばけふの月
クスっとした笑いと、少しの寂しさ切なさ、侘しさが人生に重なる・・。
そこが小林一茶の俳句の深みかなと。
○豪=小林一茶!?すごすぎる・・
余談ですが、小林一茶はめっちゃ日記を残していて・・・。
夜の生活のことも事細かに履歴に残していたとか。
小林一茶、穏やかそうにみえて・・・めっちゃ○豪だったそうです。。
うーん、やはり幼少期の辛さや苦労の多さのストレスというか・・・そういったものが関係しているのでしょうか。
ちょっと学校で習った小林一茶の俳句の雰囲気からは想像できませんね(笑)
まとめ:小林一茶、とても興味がわきます
もともとの一人前(いちにんまえ)ぞ雑煮膳
目出度さもちう位也おらが春
小林一茶の俳句は有名ですが、その創作背景にある人生についてはほとんど知りませんでした。
たまたまネットで読んだだけなのですが、小林一茶の人生を本にしたものがあるようなので、今度読んでみたいと思います。
コメント