
人は楽しかった思い出の中にいつまでもいたいと思うものです。
映画「鬼滅の刃 無限列車編」でもありましたが・・・人は楽しかった思い出や幸せだった頃の夢にいつまでもいたいと願います。
ですが、思い出や夢の中に生きていてはいけません。
私自身、まだまだ「ふとした瞬間」に過去に戻ったり、思い出の中の今に浸ることがあります。
でも、すぐに、その思いを断ち切って、今に集中しよう!と切り替える努力してます。
こちらでは「鬼滅の刃」で、とても深く心に残っている、「思い出との決別」や「残された者がやるべきこと」について描写されたシーンを紹介したいと思います。
鬼滅の刃で炭治郎がした思い出との決別
「鬼滅の刃 無限列車編」で炭治郎は夢の中で、亡くした家族との時間を過ごしますね。
原作では57話目です。
でも、夢を操られていることに気づいて自分から夢の中での空想と思い出を断ち切ります。
夢や空想の中でも、失った大切な家族と過ごした上で別れるのは辛かったでしょう。
参照)鬼滅の刃 57話(←鬼滅の刃公式サイトへジャンプします。)
だけどいつだって兄ちゃんはお前のことを想っているから
みんなのことを想っているから
たくさんありがとうと思うよ
たくさんごめんと思うよ
忘れることなんて無い
どんな時も心は傍にいる
だからどうか許してくれ
まさしくこの心情ですよね。
夢でも空想でも大切な人に会いたい。
でも、思い出や空想の中で生きれない。
でも、心は傍にいる。
炭治郎の辛さや罪悪感が身にしみて理解できます。
冨岡義勇が決意した「繋ぐ」ことの決意
鬼滅の刃で絶大?な人気の「炎柱・煉獄杏寿郎」に並ぶ人気の「柱」、「水柱・冨岡義勇」。
冨岡義勇は自分を守るために亡くなってしまった「姉」や、同じ戦いの場で自分を守ってくれた友人の「錆兎(さびと)」に対しての罪悪感、劣等感が拭いきれないでいましたよね。
彼のせいでは死んだのではないはずですが、彼本人はやはり「自分のせいで・・」と思うわけです。
自分と同じか、それよりも大事な人が自分を守るために亡くなったと感じていたら・・・当然ですよね。
残されたほうは「自分のせいで」とか「自分が代わりになればよかった」と思うものです。
「自分が死ねばよかった・・・」という気持ちが拭えない冨岡義勇。
ですが、炭治郎の一言で冨岡義勇は思い出します。
残されたものは、託されたものを繋いでいくものなのだと。
参照)鬼滅の刃 131話(←鬼滅の刃公式サイトへジャンプします。)
どんな形であれ、大切な人を失って残された人は・・・託されたものを繋いでいかなければいけない。
繋いでいくことこそが、大切な人のためになるんです。
残された者の役割は「繋いで」いくことです。
楽しかった過去や思い出に浸るのは一日数分で充分。
いや、もう・・・1年で1日?数時間くらいでいいはずです(笑)
忘れたわけでも、捨てたわけでもありません。
きちんと心の奥の宝箱にしまっている・・・忘れようもない大切な思い出、記憶です。
必要になれば取り出せばいいといつも思います。
それよりは「託されたものを繋いでいく」ことに集中して、今を一所懸命に生きることです。
それは逝った人と残された人の共同作業ではないでしょうか。
ですから、最近では安心して日々を楽しんで、一所懸命に生きようと思えるようになりました!
まとめ:今、この瞬間を生きること
楽しかった思い出も、幸せだった記憶も・・・心の奥の宝箱にしまって、そして今を一所懸命に生きたいと思います。
今を必死に生きているとき、今を駆け抜けているとき、「過去」も「未来」も気になりません。
この瞬間に全精力を注いでいる時、その瞬間は永遠です。
過去も未来もありません。
人は危険が迫った時・・・周囲がスローに見えることがあります。
あれってその瞬間に集中しているからだと思うのです。
あの瞬間ってすごく時間が長く感じますが、ほんの数秒です。
その感じ、あの究極に集中して生きるということに全力を注ぐ瞬間を維持することが一所懸命に生きることになるのではないか?と感じます。
託されたものを繋ぐため、今を一所懸命に生きていきたいと心から思います!
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